子ども達へ「ごめんね」「ありがとう!」
こんにちは!はしもとのり子です。
毎日、厳しい暑さですね。
またまた、すっかりご無沙汰をしています。
7月の後半は大学の講義で
鳥取大学の構内にある宿泊施設で
のんびりと過ごさせて頂きました。
さて、7月は私の息子の誕生日月。
お誕生日当日は、
彼が産まれた時間にメールを送り
自分が母親になったときの感激を味わいました。
メールには、
息子が産まれた時のことを書きました。
お姉ちゃんがおばあちゃんと一緒に
人形を抱っこしながら様子を見にきてくれたことや
お父さんは出張中だったけど
夜遅くに会いにきてくれ
深夜にも関わらず、
病院のご好意でお見舞いができ
お父さんに抱っこしてもらえたことなど
産まれた日のことを書き、
息子が
みんなから愛されて
産まれてきたとを伝えました。
思い起こせば
私の子育ては後悔ばかり…
私は心がしんどい時があり、
子ども達のお世話が出来ない時期がありました。
悲しいけれど、私の「心」が、
他を向いてしまっていたのです。
そのことで私は、長い年月を
自分を責めて過ごしていました。
でも、私が悔やみ自分を責めるのは、
私の深い思い込みからとも言えるのです。
「母親とはこうあらねばならない」
という思い込み。
例えば
「母親なら毎日お弁当を作るべきだ」
「母親なら毎日手作りの夕食を出すべきだ」
「母親なら毎日笑顔で子どもを見送り、出迎えるべきだ」
「母親なら…」
「母親なら…」
「!!!…」
そんな私の価値観が自分を縛り
自分を苦しめていたのですね。
でも、母と子です。
しっかりと
愛の絆で結ばれているのです。
笑顔で台所に立つだけが
母親の愛ではありません。
もっともっと高い次元から
「愛」を見たときに
ちゃんと存在して
息子と私のお互いの心に「愛」が
揺るぎない「愛」があると・・・
今は、そう思えるのです。
息子からのメールの返事に
こんな一文が…。
「ありがとう!
色々な人と接してみて
自分が愛されていると感じています。」
息子が、どんな事から
愛されていると感じたのか
どんな時に
愛されて育ったと思ったのか
私には分からないけれど、
確実に「愛」が存在しているのだと思えました。
まだ今も、
思い起こせば悔やまれる気持ちが残り
「ごめんなさい」と心の奥で謝っています。
だけど、
「ありがとう」って
伝えたい。
子ども達に
「ありがとう」って
感謝の気持ちを伝えたい。
「ごめんね」
そして
「ありがとう!」って、
伝えたい。
私が「私」を生きることで
子ども達に何かを残せるような
そんな気がしています。
☆☆可愛い絵☆☆
娘が書いた「私と息子」の絵
裏にはお手紙が書いてありました♪
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